東京地方裁判所 平成10年(ワ)24569号 判決
原告 鈴木善祐
右訴訟代理人弁護士 米丸和實
被告 伊藤哲夫
右訴訟代理人弁護士 近藤良紹
荒木和男
早野貴文
宗万秀和
川合晋太郎
川合順子
田伏岳人
鬼頭栄美子
主文
一 被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金九四〇〇万円及びこれに対する平成一〇年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、原告が、被告に対し、被告による原告所有の不動産についての仮差押の申立て及び原告に対する本案訴訟の提起が不法行為を構成するとして、損害賠償金九四〇〇万円(これらに対する応訴等のために要した弁護士費用四四〇〇万円及び慰謝料五〇〇〇万円)及びこれに対する不法行為の後である訴状送達の日の翌日(平成一〇年一一月一三日)から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求をした事案である。
二 前提となる事実(証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
1 当事者及び原告に対する金員の交付
(一) 原告は、昭和五八年以来、山吉證券株式会社(以下「山吉證券」という。)の代表取締役であった者であり、被告は、平成元年頃から、同社と株式取引をしていた顧客(本件当時は、特許庁審査部審査管理官として勤務していた。)である。
(二) 原告は、被告に対し、次のとおり、合計四億四〇〇〇万円の金員を交付した(以下「本件交付金」という。)
(1) 平成八年一月二三日 一億三〇〇〇万円
(2) 同 年三月二一日 一億八〇〇〇万円
(3) 同 年三月二二日 二〇〇〇万円
(4) 同年七月三一日 五〇〇〇万円
(5) 同 年九月三〇日 六〇〇〇万円
2 被告の原告に対する仮差押申立て等
(一) 被告は、平成九年一月一四日、原告が所有する別紙物件目録記載の土地建物(以下「本件不動産」という。)について、債権者を被告、債務者を原告、被告の原告に対する貸金債権四億四〇〇〇万円を被保全権利とする不動産仮差押命令を東京地方裁判所に申し立てたところ(平成九年(ヨ)第一六二号、以下「本件仮差押」という。)、同裁判所は、同月二四日、債権者(被告)の申立てを相当と認め、被告に支払保証委託契約による四五〇〇万円の担保を立てさせた上で、被告主張の貸金請求債権の執行を保全するため、本件不動産を仮に差し押さえる旨の決定をし、右決定は、同年二月一日、原告に送達された。
右決定の請求債権欄には、「債権者(被告)、債務者(原告)間の平成八年一月一九日付け覚書に基づき、債権者が債務者に次のように期限の定めなく貸し渡した元金合計四億四〇〇〇万円の貸金返還請求権」として、前記の1の(二)の(1) ないし(5) の本件交付金のとおりの日付及び金額が貸付日及び貸付金として掲げられている。
(二) 原告は、同年二月二四日付けで、本件仮差押決定に対する保全異議を東京地方裁判所に申し立てたところ(平成九年(モ)第五一二〇〇号)、同裁判所は、同年五月二六日、被告主張の被保全権利、すなわち、前記貸金債権の存在が認められないとして、本件仮差押決定を取り消し、本件仮差押申立てを却下する旨の決定をした。
(三) 被告は、同年六月五日付けで、前項の決定に対する保全抗告を東京高等裁判所に申し立てた(同年(ラ)第一一二九号)が、同裁判所は、平成一〇年九月一〇日、右抗告を棄却する旨の決定をした。
なお、右保全抗告事件において、被告は、被保全権利として、前記貸金債権のほか、予備的に、(1) 貸金及び山吉證券への経営参加等を解除条件とする混合契約の条件不成就に基づく解除による返還請求権、(2) 約定の年収を支払わなかったことによる契約の解除に基づく返還請求権、(3) 名義貸し名下の金員騙取(不法行為)に基づく損害賠償請求権、(4) 金員交付契約の詐欺取消による不当利得返還請求権を予備的に追加したが、抗告裁判所は、いずれも被保全権利として失当と判断した。
3 被告の原告に対する本案訴訟の経緯等
(一) 被告は、平成九年五月一六日、本件仮差押申立事件の本案訴訟として、原告に対する貸金返還請求訴訟を東京地方裁判所に提起した(平成九年(ワ)第九六一一号、以下「本案訴訟」という。)。
本案訴訟において、被告は、原告に対し、四億四〇〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めたが、訴訟物として主張された権利関係は、次のとおりである。
(1) 主位的請求(貸金契約に基づく請求)
平成八年一月一九日付け覚書及び同年七月一七日付け変更覚書による貸金契約に基づく同額の貸金返還請求権及びこれに対する遅延損害金支払請求権
(2) (1) の予備的請求(信頼破壊による混合契約の解除に基づく請求)
(1) の合意が純粋の貸金契約でなく、貸金契約及び山吉證券の経営権の委譲等を含む混合契約であるとして、右混合契約における信頼関係破壊を理由とする解除に基づく原状回復としての同額の金員の返還請求権及びこれに対する遅延損害金支払請求権
(3) (1) の選択的請求一(詐欺による混合契約の取消に基づく請求)
右の混合契約の締結は、原告が、交付された金員が出資金であることの説明をせず、山吉證券の経営権を委譲するとの約束を実行せず、山吉證券の株式が二年後に公開される、山吉證券は、現在係争中の訴訟に勝訴すれば、資金繰りがよくなる、山吉證券の顧客数は多数であり、大株主の支援を得られる態勢になるなどと虚偽の説明をするなどして、被告を欺罔したことによるものであるとして、右混合契約を取り消したことによる同額の不当利得返還請求権及びこれに対する遅延損害金支払請求権
(4) (1) の選択的請求二(不法行為による損害賠償請求)
原告が被告に対し、将来山吉證券の後継者になってもらいたい、当面五億円を融資して欲しいとして、前記(3) に記載したような虚偽の説明等をし、四億四〇〇〇万円を騙取した不法行為による同額の損害賠償請求権及びこれに対する遅延損害金支払請求権
(二) 同裁判所は、平成一〇年九月二五日、本案訴訟について、被告(本案訴訟原告)の主張する請求原因が認められないことを理由として、各請求(主位的請求、予備的請求及び選択的請求)を棄却する旨の判決をした。
(三) 被告は、同年一〇月六日、東京高等裁判所に右判決に対する控訴をしたが(平成一〇年(ネ)第四八七六号)、平成一二年一月二六日、同裁判所は、基本的に一審判決と同様に判断して、控訴を棄却する旨の判決をした。
(四) 被告は、右判決について、更に上告提起及び上告受理申立てをしたが、いずれも退けられ(上告却下、上告不受理)、本案訴訟については、被告の敗訴が確定した。
4 山吉證券は、平成一〇年一〇月二一日、東京地方裁判所に自ら破産の申立てをし、平成一一年四月二〇日、破産宣告を受けた。
三 争点
1 本件仮差押申立て及び本案訴訟の提起が不法行為に当たるか。
(一) 原告の主張
(1) 本件仮差押申立てについて
被告が原告に交付した合計四億四〇〇〇万円の本件交付金は、被告が原告名義を借用して山吉證券の新株一五五万株を引き受けたことに対する出資金であり、被告の原告に対する貸金ではない。しかるに、被告は、右の事情を知悉しながら、本件交付金を貸金と偽って、本件仮差押申立てをしたものである。
被告は、本件仮差押申立事件の審理の過程で、裁判所から被保全権利についての疎明が不十分と指摘されたため、原告に対し、約七五〇〇万円の新たな出資払込金につき銀行から融資を受ける必要があるとし、そのためには、これまで原告に払い込んだ本件交付金が貸金であって、これに対する利息収入がある旨の書面が必要であると虚偽の事実を告げて原告を欺き、本件交付金が貸金である旨の平成九年一月二〇日付けの覚書(甲六号証の一)を作成させ、右覚書を疎明資料として裁判所に提出して本件仮差押命令を得たものであるから、本件交付金が貸金でないことについての被告の故意は明らかである。
仮に、右につき、被告の故意が認められないとしても、本件仮差押命令は、保全異議により取り消され、また、保全抗告も棄却されており、かつ、本案訴訟についても、請求棄却判決が確定していることからみて、少なくとも、本件仮差押申立てにおける被告の過失は推定されるものというべきである。
(2) 本案訴訟の提起について
本案訴訟についても、被告は、本件仮差押と同様、本件交付金が貸金でないことを知りながら提訴したものであるから、被告の故意は明らかである。
(二) 被告の主張
(1) 被告が原告に交付した金員(本件交付金)は、全て原告に対する貸金であって、出資金ではない。
大蔵省の指導により山吉證券の増資を迫られた原告は、被告をはじめとする数名に新株引受を依頼したが断られたため、原告自身がこれを引き受けることになり、その資金調達方法として被告に融資を依頼し、被告がこれに応じたものである。
(2) 本件仮差押については、被告は、山吉證券の新株を担保として原告に対し貸付を行ったものと認識して申立てを行ったが、平成八年一月一九日付け覚書(甲一号証)及び同九年一月二〇日付け覚書並びに同日付け覚書確認事項(甲六号証の一、二)の記載に照らしても、被告がそのように信じるにつき合理性があることは明らかである。
また、仮に、本件交付金が貸金でなく、原告の名義を借りてする新株増資に対する払込金であったとしても、本案訴訟において被告が主張したように、原告は、被告に対し、前記のとおり山吉證券の経営状態等につき虚偽の事実を述べてこれを支出させ、同社の倒産によりこれが無に帰したものであり、したがって、同額を被告に賠償又は返還すべき義務があるというべきであるから、本件仮差押申立てについては、被告の過失の存在の推定を覆す相当な事由があるものというべきである。
(3) 本案訴訟の提起についても、前記のとおり、原告に対する貸金返還請求あるいは不法行為に基づく損害賠償請求等は正当なものであって、被告に過失はない。
2 原告の損害及びその額
(一) 原告の主張
原告は、被告の本件仮差押申立て及び本案訴訟の提起により、次のとおり、合計九四〇〇万円の損害を被った。
(1) 弁護士費用 四四〇〇万円
原告は、本件仮差押申立事件等及び本案訴訟等の応訴のための着手金及び報酬金として合計四四〇〇万円を原告訴訟代理人に支払うことを約し、既にそのうち一五七〇万円を支払っている。
なお、弁護士報酬規定により本案訴訟の報酬まで含めて計算すると、原告代理人に対して支払うべき弁護士報酬は、合計七四九三万九九九八円となる(仮差押についての保全異議の申立着手金、保全抗告応訴着手金及び右報酬は、各八三二万六六六六円、本案訴訟第一審着手金、控訴審着手金は、各一二四九万円、本案訴訟報酬金は、二四九八万円、以上合計七四九三万九九九八円)。
(2) 慰謝料 五〇〇〇万円
原告は、昭和五四年四月まで東京大学農学部教授の職にあったが、山吉證券の代表取締役社長であった兄鈴木啓介の急逝により、昭和五八年以降、同社の代表取締役として会社の経営に当たってきた。
平成二年頃から始まった株価の大暴落により証券会社は不況に襲われ、原告は個人資産を投じてまで山吉證券の経営建て直しに懸命の努力をしたが、被告の前記不法行為を原因の一つとして、平成一一年四月二〇日、山吉證券は破産宣告を受けるに至った。
また、被告が原告に本件交付金を交付して山吉證券に出資した際には、原告が被告に引受人の名義を貸していたのであるが、被告による本件仮差押申立事件等及び本案訴訟等の審理の過程で、右名義貸しの事実が明らかになり、そのため、原告は、監督官庁である大蔵省から注意を受け、また、山吉證券の大株主から支援を受けることも困難となり、社内では、労働組合から社長としての責任を厳しく追及されることとなった。そのため、当時七七歳と高齢であった原告は、体調を著しく崩し、狭心症や心筋梗塞の症状が現れた。
以上による原告の精神的苦痛に対する慰謝料相当額としては、五〇〇〇万円を下らないものというべきである。
(二) 被告の主張
(1) 弁護士費用の合意及びその支払の事実は争う。
(2) 山吉證券の破産は、もともと存在した同社の営業不振、財務内容の悪化に起因するものであって、本件仮差押申立てないし本案訴訟の提起とは無関係であるから、被告としては、原告に対する損害賠償義務を負うものではない。
第三争点に対する判断
一 争点一(本件仮差押及び本案訴訟と不法行為)について
1 前記前提となる事実に加え、証拠(甲一号証ないし五号証、六号証の一、の二、七号証、八号証、一四号証ないし一六号証、三四号証、五二号証、乙一号証の一、二、八号証、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 山吉證券は、平成七年一二月一二日開催の取締役会において、平成八年一月二五日及び同年三月二五日を各払込期日とし、各期日にそれぞれ九三万株及び六二万株の第三者割当による新株発行(一株の額面五〇円、払込金額三二三円、株式引受人は、いずれも原告)を行うことが決議され、原告は、自己名義をもって、右各払込期日に所定金額の払込みを行った。
(二) 右払込期日に先立つ平成八年一月一九日、原告と被告は、山吉證券の増資に関し、原告の甥である鈴木隆介(以下「隆介」という。)を立会人として、次の内容の覚書(甲一号証、以下「第一覚書」という。)に各自署名押印した。なお、この時点では、被告は、特許庁を退職し、平成八年七月には山吉證券に入社することが予定されていた。
「原告と被告は、山吉證券の株式増資払込について、下記の通り契約する。
第一条 被告は原告に対し、山吉證券の株式増資払込資金として、金五億円を下記の通り支払う。
平成八年一月二三日限り 金一億三〇〇〇万円
平成八年三月二一日限り 金二億円
平成八年七月二三日限り 金一億七〇〇〇万円
第二条 発行された原告名義の山吉證券株式は、山吉證券の保護預かりとし、その預かり書を被告に交付する。
第三条 山吉證券の経営、その他の事項については、下記の通り合意する。
1 原告は本覚書締結後、一年以内に被告が山吉證券の取締役副社長に就任することを承諾した。
2 原告は被告が山吉證券の取締役副社長就任後、二年以内に代表取締役社長に就任することを約諾した。
3 被告が山吉證券の取締役副社長に就任すると同時に、原告は山吉證券の取締役及び従業員の人事に関する全ての権限を被告に一任することを約諾した。
4 原告は被告とともに山吉證券の経営刷新及び高収益会社への飛躍に協力するものとする。
5 原告は被告の取締役副社長就任後、経営に関する全ての権限を被告に移譲する。
第四条 隆介は、被告の山吉證券の経営全般及び増資金作りに関し全面的に協力する。
第五条 本覚書に定める事項は全て極秘とし外部に漏洩することのないことを確約する。」
(三) 右第一覚書に基づき、被告は、原告に対し、平成八年一月二三日に一億三〇〇〇万円、同年三月二一日に一億八〇〇〇万円、同月二二日に二〇〇〇万円をそれぞれ交付した。なお、被告は、金員の交付をするに際し、原告の個人資産について十分な信用調査をしていない。
(四) しかし、前記の同年七月二三日支払予定分については、同月一七日頃、原告と被告間(隆介も立会人として署名押印)において、その支払時期を、a同月三一日限り五〇〇〇万円、b同年九月三〇日限り一億二〇〇〇万円と変更する旨の覚書(甲二号証、以下「第二覚書」という。)が作成され(被告は、「山吉證券増資払込者」の欄に署名押印している。)、被告は、これに基づいて、同年七月三一日、原告に対し五〇〇〇万円を交付した。
(五) 更に、同年九月二六日、原告と被告とは、前記合意に基づく九月三〇日交付分について、六〇〇〇万円に減額する代わりに、残額の六〇〇〇万円については被告が原告宛借用書(甲三号証)を差し入れる旨合意し、この合意に基づき、被告は、九月三〇日、原告に対し六〇〇〇万円を交付した(被告から原告に対し以上の(三)ないし(五)のとおり交付された金員が本件交付金である。本件交付金は、前記の山吉證券の新株払込み資金として用いられた。)。
(六) 被告は、前記予定より遅れて、平成八年一〇月一日、特許庁を退官し、同月二三日、山吉證券の取締役副社長に就任し、一定の活動をしたが、平成九年一月二八日、原告に対し、山吉證券の取締役副社長の職を辞任する、本件交付金は原告に対する貸金(返済期限の定めなし)であるから、その返済(利息金を含む。)を求める旨の通知をした。
(七) 被告は、右辞任通知等に先立つ平成九年一月一四日、前記のとおり本件仮差押の申立てをした。
右仮差押申立て後の同月二〇日、被告は、右申立ての事実を知らない原告に申入れをして、原告と被告の間で、本件交付金が被告に対する原告の借入金であることを確認する、返済期限の定めはないものとし、原告は、平成九年一月一日以降、東証信の株式担保ローンに金利と連動する利息を毎月末日限り被告指定の銀行口座に振り込むとの内容の同日付け覚書(甲六号証の一、以下「第三覚書」という。)及び、右第三覚書による前記利息の実行は行わないものとする旨の同日付け「覚書確認事項」と題する書面(甲六号証の二、以下「附属覚書」という。)が作成された。
右第三覚書等の作成の経緯は、次のとおりである。すなわち、被告は、原告に対し、約七五〇〇万円の新たな出資払込金について、さくら銀行から融資を受けるためには、原告に交付した本件交付金四億四〇〇〇万円が原告に対する貸金であり、被告にはこれに対する利息収入がある趣旨の書面が銀行に示すための形式的な書類として必要である旨説明をし、第三覚書の作成方を依頼した。原告は、右の説明を信用し、その結果として、第三覚書が作成されたが、原告は、第三覚書に定めた利息の支払が仮にも実行されることのないよう、被告に対し、これを否定する趣旨の附属覚書の作成を求め、被告もこれに応じたものである。
そして、右第三覚書は、被告によって、本件仮差押申立事件の追加疎明資料として裁判所に提出され、その後、本件仮差押決定が発せられた。
2 本件交付金の性質とこれに対する被告の認識について
(一) 以上の事実関係を要約すると、次のように判断される。すなわち、
(1) 第一覚書の前記記載をみると、被告が支払った金員によって原告名義で取得される山吉證券の株券の保護預かり証は、被告が所持することとされていること、山吉證券の経営権、支配権は、あげて被告に委譲されるものとされていること、これらにつき秘匿条項が設けられている等、その内容は、本件交付金が被告の出資金である事実に符合するものであって、これを原告に対する貸金とみることを窺わせる定めは見当たらない。
(2) 第二覚書は、第一覚書の趣旨を踏襲しつつ、被告の原告に対する金員交付時期を一部変更したものであるところ、被告は、その「山吉証券増資払込者」の欄に、住所氏名を自筆で記し、その名下に押印しており、この肩書欄の記載に何らかの異議を述べた形跡はない。
(3) 第三覚書が作成された経緯は、前記認定のとおりであって、これは、被告が、本件仮差押申立て後に、原告に事実とは異なるけれども、銀行に対する説明用に形式上必要であるとの虚偽の言を用いて作成させたものであるというべきであるから、これをもって、本件交付金が貸金であると認めるべき証拠価値を有するものと評価することはできないことは明らかである。
(4) なお、被告は、第一覚書は、原告が作成した手書きの修正案を被告がワープロ入力したものであるところ、その原案では「融資」であることが明示されていた、第二覚書も、被告の貸付時期延期要請に基づき、原告側が作成した原案をそのままワープロ入力したものに過ぎず、これらの覚書は、被告の真意に基づかないものであるとの趣旨を供述する。
しかし、被告陳述書(甲六二号証)によれば、被告が第一覚書の原案として提出したものは、当時の原本そのものではなく、本案訴訟提起後に起案者である久保誠が思い出して作成したものであり、これによると、原告提出の同原案(甲二五号証)こそが、被告が久保に事前に作成させた第一覚書の原案であると認めるのが相当であるところ、右の原案には、「融資」の文字はなく、かえって、「拠出」の文字があることが明らかであり、右の原案は、そもそも被告側の立場にあった久保が起案したものであって、原告側における改竄の余地はないことが認められる。また第二覚書作成の経緯は、前記認定のとおりであって、被告の意に反して作成されたものと認める余地はない。
そうすると、第一覚書及び第二覚書が、被告の真意に基づくものではないとの前記供述は、採用することができない。
(二) 以上の事実関係等を総合すると、被告は、本件仮差押申立て及び本案訴訟提起時において、本件交付金は、自己の山吉證券に対する出資金(被告が引き受けるべき山吉證券の増資払込資金)であって、原告に対する貸金ではないことについては、十分な認識を有していたことは明らかというべきである。
3 本件仮差押の申立てと不法行為の成否
(一) 債権者が被保全権利が存在しないことを知りながら、債務者の不動産の仮差押をすることが債務者に対する不法行為を構成することは、いうまでもないところである。
そして、前記認定判断したところによれば、被告は、本件仮差押申立て当時、本件交付金が原告に対する貸金ではないことを十分認識していたものであるから、本件仮差押の被保全権利である貸金請求権が存在しないことを知りながら、敢えて右申立てに及んだというほかない。
そうすると、被告のした本件仮差押申立ては、原告に対する不法行為を構成するものというべきである。
(二) なお、被告が、保全抗告審において、右貸金債権のほか、予備的な被保全権利を主張したことは前記のとおりであるが、保全抗告審の判断が前記のとおりであった等前記認定の事実関係に照らすと、少なくとも、被告には、右につき過失があったと推認するのが相当であるから、右事実は、本件仮差押申立てが原告に対する不法行為を構成するとの前記判断に影響を与えるものではない。
4 本案訴訟の提起と不法行為の成否
(一) 法治国家における法的紛争の当事者の裁判を受ける権利を尊重すべき要請と被害者を救済すべき不法行為制度の調和を図る観点からみて、民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのに敢えて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られると解される(昭和六三年一月二六日最高裁判所第三小法廷判決・民集四二巻一号一頁)。
(二) この見地に立って本件をみるに、既に認定したとおり、被告は、本件交付金が原告に対する貸金でないことを十分認識した上で、原告を欺罔して第三覚書を作成させるなどし、これを有力証拠として援用しつつ本案訴訟を提起したものであって、被告は、その訴訟物として主張する貸金債権について、事実的根拠を欠くことを知りながら、敢えて訴えを提起したものというべきである。
そうすると、右貸金債権を訴訟物として主張する限りにおいては、本案訴訟の提起が原告に対する不法行為を構成することは明らかというべきである。
(三) ところで、本案訴訟において、被告が、予備的又は選択的な訴訟物として、信頼関係破壊による貸金の合意を含む混合契約の解除に基づく原状回復請求、詐欺による右混合契約の取消に基づく不当利得返還請求及び不法行為による損害賠償請求に沿う主張をしたことは前記のとおりである。
これらの主張のうち前二者に係る主張は、本件交付金が貸金であることを前提としているとみることができるから、その限度では事実的根拠を欠く側面のあることは否定できないが、後者の不法行為の主張を含め、これらの主張を実質的にみると、これらは、被告が、本件交付金の出捐の実質的対価をなす山吉證券の会社経営の実権の取得と見合うものでなく、その原因は原告が被告に対してした説明の不備に由来すると認識して、その返還ないし回復を求めるために工夫を加えた苦心の法律構成と評価することが可能である。そして、これらの主張は、結果的にみれば、本案訴訟の第一審裁判所及び控訴審裁判所の容れるところとはならなかったけれど、当裁判所に提出された本案訴訟の証拠を子細に検討すると、これらの主張が、当時の状況に照らして、事実的、法律的根拠を欠くものである上、被告が、そのことを知りながら又は通常の注意義務を尽くせば容易にそのことを知り得たにもかかわらず、敢えて主張をしたものであるなど、これらの主張を追加したことが裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる前記場合に当たると断定することは躊躇されるものというべきである。
そうすると、本案訴訟において、被告がこれらの追加主張をしたことまでを違法ということはできないものというべきであるが、このように解したからといって、本案訴訟においては、主位的請求である貸金請求が被告として最も強力な主張であったことは、弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、貸金請求を訴訟物として主張した限りにおいては、本案訴訟の提起をもって、原告に対する不法行為を構成するという前記判断が左右されるものでないことは当然である。
(四) 以上によると、本案訴訟の提起についても、右の限度においては、不法行為を構成すると認めるべきである。
5 以上のとおりであるから、被告は、原告に対し、本件仮処分申立て及び本案訴訟の提起によって原告の被った損害を賠償する義務がある。
二 争点二(原告の被った損害額)について
1 弁護士費用について
(一) 前記の事実関係によれば、原告は、本件仮差押決定に異議を申し立て、被告のした保全抗告に対応し、また、本案訴訟及びその控訴審において、応訴することを余儀なくされたものであるから、これに要した弁護士費用は、被保全権利の価額ないし被告からの請求額、事案の難易度とこれに対応する訴訟活動の必要性、その他諸般の事情を斟酌して社会通念上相当と認められる額の範囲内のものは、前記不法行為と相当因果関係に立つ損害と認められるべきである。
原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件仮差押の被保全権利の価額(本案訴訟の請求額)は、四億四〇〇〇万円、本件不動産の価格は、約六億円程度であり、原告は、本件仮差押についての異議等及び本案訴訟の応訴等の着手金及び報酬金として、原告訴訟代理人である弁護士に対し合計四四〇〇万円を支払うことを約し、既に内金として一五七〇万円を支払ったことが認められるところ、本件における原告の訴訟代理人の弁護活動は、本件の事案としての難易度と対比して基本的に合理的なものであると認めることができるが、本案訴訟のうち被告の追加請求に係る部分は不法行為を構成するということができないことを考慮すると、被告の不法行為と相当因果関係の肯定できる損害として被告が負担すべき弁護士費用としては、三〇〇〇万円と認めるのが相当である。
2 慰謝料について
(一) 原告は、本件不法行為により被った精神的損害として、(1) 本件仮差押及び本案訴訟に対応したこと自体によるもののほか、(2) 名義貸しの事実が明らかになったため責任を追及され、かつ、健康を害したことによるもの、及び、(3) 本件仮差押申立て等に起因して原告が長年経営に携わってきた山吉證券が倒産したことによる損害を主張する。
(二) 不法行為により財産権を侵害された場合においては、財産的損害が賠償されることにより、精神的損害は一応回復されたものとみるべきであるから、原則として慰謝料請求を認めるべきではなく、ただ、侵害された財産権が当該被害者にとって特別の主観的、精神的価値を有し、そのために、単に財産的損害の賠償だけでは償いきれないほど甚大な精神的苦痛を被った場合で、かつ、加害者がこれを予見し、予見し得た場合に限り、慰謝料請求が認められると解される。
この見地に立って、原告の主張をみると、前記主張(1) の損害については、本件仮差押申立て等に対応するために要した弁護士費用につき、その賠償が認められたことにより、これに伴う精神的損害も一応回復されたものとみるのが相当であって、原告が、それ以上に、右賠償だけでは償いきれないほどの甚大な精神的苦痛を被ったと認めるに足りる的確な証拠はない。
また、同(2) の損害については、前記認定事実によると、原告も前記のような名義貸しに同意したものであることが明らかであるところ、名義貸しが被告の申入れによるものであったとしても、原告自らがこのような事態が生じたことにつき責任の一端を担うべきものである以上、被告に対しこれに伴う精神的損害に対する慰謝料を請求できる理はないものというべきである。
更に、同(3) については、証拠(甲九号証、二〇号証、二一号証、乙一〇号証、三〇号証ないし三五号証、三七号証ないし四〇号証)及び弁論の全趣旨によれば、山吉證券は、被告による出資がされる以前から、財務状況が極度に悪化しており、大蔵省から自己資本の充実を要望されていたところ、平成七年九月に予定されていた一〇億円の第三者割当増資につき出資が得られなかったためにこれが中止となり、その後出資者を募っても応募者がなかったこと、被告が原告名義を借用して第三者割当新株一五五万株を引き受けた後も、山吉證券の経営状態につき格段の改善はみられず、更なる増資の必要に迫られていたこと、被告が右出資金を貸金と偽り返還請求した際に、仮差押えしたのは山吉證券の財産ではなく原告の個人資産であったこと等の事実に照らすと、被告による本件仮差押等と山吉證券の倒産との間に相当因果関係の存在を認めることは困難というべきである。
(三) そうすると、被告の不法行為により原告が精神的苦痛を被ったことによる慰謝料の請求を認めることは相当でないものというべきである。
第四結論
以上の次第で、原告の請求は、前記認定の弁護士費用三〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成一〇年一一月一三日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六四条を、仮執行宣言につき、同法二五九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中壯太 裁判官 土谷裕子 裁判官 新崎長俊)
別紙<省略>